SAGA RAMEN

佐賀ラーメンの歴史と進化

HISTORY & EVOLUTION

歴史と進化

久留米で生まれた豚骨ラーメンが、
佐賀の地で独自のかたちとなり、
70年の歳月を経て、
今、世界へと広がっていく。

1937 1947

はじまりは、
久留米の偶然から

佐賀ラーメンの歴史をたどると、必ず通る場所があります。福岡県久留米市。九州豚骨ラーメンの発祥の地です。

1937年、長崎県島原市出身の宮本時男が、久留米に屋台「南京千両」を構えました。横浜の中華街で学んだ支那そばと、故郷のちゃんぽんをかけ合わせた一杯。ただし、当時のスープはまだ透明感を残すものでした。

白濁した豚骨スープが偶然生まれるのは、それから10年後のこと。1947年、同じ久留米で屋台「三九」を営んでいた杉野勝見が、仕込みを母親に任せて外出。帰ってみると、スープは手違いで強く炊き上げられ、白く濁っていました。

1951 1956

白濁豚骨、
九州をめぐる

「三九」の白濁スープは、数人の職人の手を介して、九州中へ広がっていきました。

杉野は屋号を四ヶ所日出光に譲り、1951年に自身は北九州へ移って「来々軒」を開業。翌1952年には四ヶ所が熊本の玉名駅前に「三九」を出店。その味を参考にした職人たちにより、熊本、宮崎両市にも広がっていきました。1954年、杉野の親戚で久留米・三九でも働いていた田中始が大分・日田に「来々軒」を開業。1955年、杉野の弟が佐賀市に「三九軒」を構え、翌1956年には四ヶ所も佐賀へ。

熊本の「こむらさき」、宮崎の「喜夢良ラーメン」——「三九」をルーツに持つ店は、今も現役で営業を続けています。一つの屋台から生まれた白濁豚骨は、10年足らずで九州の食文化を書き換えました。そして、その波は佐賀にも届きました。

「三九」系譜の伝播

1947 久留米で「三九」創業(杉野勝見)/白濁スープ誕生
1951 杉野が北九州「来々軒」創業(四ヶ所日出光に屋号譲渡)
1952 四ヶ所、熊本・玉名に「三九」出店
1954 田中始、大分・日田に「来々軒」創業
1955 杉野の弟、佐賀市「三九軒」創業
1956 四ヶ所が佐賀に「三九」移転
1953 1958

佐賀の一杯が、
生まれた

現存する佐賀最古のラーメン店は、1953年創業の「民藝茶屋 シャローム」(佐賀市巨勢町)。前身は「北京千両」。久留米「南京千両」の影響を受けた店です。

1956年、四ヶ所が「三九」を佐賀に移転。大串進は、その店で働いていた職人に味を習い、「一休軒」を創業。試行錯誤を重ね、あっさり豚骨という佐賀独自のスタイルをつくり上げていきます。

「一休軒」には、今も語り継がれる逸話があります。大串は、西鉄ライオンズの熱烈なファンでした。1958年、贔屓の優勝を祝って、丼の中央に黄身を落とし、チャーシューを花のように並べた——それが「佐賀ラーメンといえば卵黄」の始まりだったといわれています。

民藝茶屋シャロームのラーメン
1955 1990

生卵、ヤワ麺、佐賀海苔、
そしていなり——佐賀の型

1950年代後半から1980年代にかけて、佐賀のラーメンは独自のかたちを整えていきます。生卵は大串進の祝祭の一杯を起点に各店へ広がり、「特製」「デラックス」の名で売られました。中太のヤワ麺は、あっさりスープとの一体感をかもし出す佐賀独自の食感として定着。日本有数の海苔の産地である佐賀では、佐賀海苔をスープに浸して食べる文化も根づきます。そしてもう一つ、佐賀のラーメン店に特有の存在。「いなり」です。このサイドメニューは、寿司店も営んでいた一休軒が出していたことから広まったとされています。スープの塩味と、いなりの甘さ。この組み合わせが、佐賀では当たり前に成立しています。「一休軒」の流れは、「成竜軒」「幸陽軒(現:幸陽閣)」、そして1980年に独立した「一休軒 鍋島店」(現・もとむら)へと広がり、佐賀ラーメンの本流を形づくっていきました。

また「毎日食べたい」とも思わせてくれる優しい味には、佐賀の食堂文化の影響も垣間見えます。大正から昭和にかけて各地で食堂が生まれ、戦後、久留米からラーメンがもたらされると、それをメニューに加える店も多かったといいます。パンチが求められる専門店ではなく、食堂メニューの一つだったからこそ、その滋味深い味わいが好まれ、親しまれてきたとも言えるのです。

INTERLUDE

芯のある味

新しいものが生まれ続ける中で、ある味は、70年変わらずにそこにあります。

豚の骨から取る、脂の少ないあっさりスープ。豚骨の甘味を引き立てる醤油だれ。
中太のヤワ麺。中央に落とされた生卵。
この骨格は、佐賀の店主たちに受け継がれ、今日も店先で湯気を立てています。

強くはないけれど、芯がある。派手ではないけれど、深い。
毎日食べても飽きない、最後の一滴まで飲み干せる、そんな一杯が、佐賀にはあります。

そしてその周りに、

多彩な一杯が広がっている。

REGIONS

それぞれの土地に、
それぞれの一杯

佐賀のラーメンを語るとき、佐賀市だけを見ていては足りません。
県内のそれぞれの土地に、それぞれの一杯、そしてラーメン文化を支えてきたモノがあります。

KARATSU

唐津

伝説の「一竜軒」を筆頭に、豚骨の髄が染み出たドロッとしたスープが特徴。系譜を継ぐ「一光軒」「竜里」、そして久留米から始まった「龍虎軒」、中華そばを提供する「関東軒」「らぁ麺むらまさ」まで、スタイルはさまざま。

TOSU / KIYAMA

鳥栖・基山

交通の要衝である土地柄を生かした店が人気。「丸幸ラーメンセンター」は、国道3号線沿いで、かつては24時間営業でトラック運転手を支えた。超高圧ボイラー釜で炊くスープは1日1000杯単位で売れ、たくあんを入れる食べ方も独自文化。「夢を語れ 鳥栖総本店」のような新しい波も。

SAGA CRAFT

文化を支えてきた「佐賀のモノ」

佐賀は古くから製麺文化で知られる土地です。小麦と良質な水が豊富だったからでもありますが、「佐賀の発明王」と称された真崎照郷が明治中期にロール式製麺機を生みだしたことも大きな要因です。現在の製麺機も基本原理は真崎式製麺機と変わっておらず、佐賀の発明が脈々と受け継がれています。 また、日本の磁器発祥の地でもある佐賀は、ラーメン丼の生産地としても注目されています。全国各地で食材を探し回ったラーメン職人・佐野実さんは「丼も食材の一つ」と考えました。そしてたどり着いたのが有田焼でした。その口当たりや保温性などが評価され、九州、関東でも有田焼の丼を使う店が多いです。 調理道具に目を向けると、久留米や佐賀の老舗では、昔から底が平らな「平網(平ざる)」が使われてきました。羽釜でゆでた麺を一度にすくえ、湯切れもいいことから重宝されてきましたが、使いこなすには技術も必要なため近年は姿を消しつつあります。そんな中、鹿島の「原金網店」は平網作りを続けており、九州で唯一とも言われています。

王道の佐賀ラーメンを

核としながら、

醤油、味噌、塩、つけ麺まで

県内には多彩な一杯が

並び立っています。

それらすべてが、

SAGAラーメンです。

TO THE WORLD

佐賀から、世界へ

全国に「佐賀ラーメン」という名前が知られるようになった転機は、2016年の東京ラーメンショー。佐賀市の「いちげん。」が「佐賀ん豚骨らーめん」として、卵黄をのせたスタイルを全国に向けて発信したことで、「佐賀ラーメン=卵黄」のイメージが定着します。専門メディアや人気ラーメンYouTuberの特集が相次ぎ、佐賀へわざわざ足を運ぶファンが目に見えて増えていきました。

FUKUOKA

ラーメン王国・福岡への影響

豚骨ラーメンの本場・福岡のラーメンメディアが、相次いで佐賀特集を組むようになりました。さらに、福岡で新しく開業する豚骨店のなかには、佐賀の「卵黄のせ」スタイルを取り入れる店が増えつつあります。佐賀県出身の店主が、故郷の味をルーツに据えた店を福岡で開くケースも。豚骨の本場にも、佐賀の味が浸透しはじめています。

THE WORLD

そして、世界へ

佐賀市の「麺家 ぶらっくぴっぐ」は、アミューズメント事業大手が進める米国フードコートプロジェクト「ROUND ONE Delicious」の日本代表店の一つに選ばれました。2025年以降、ロサンゼルス、ニューヨーク、ラスベガスから始まる全米展開のなかで、佐賀発の豚骨ラーメンが世界に届けられようとしています。

佐賀ラーメンと記された器

久留米で偶然生まれた白濁スープ。

佐賀で一人の店主が
祝いの日につくった一杯。

70年にわたって変わらずに守られてきた、毎日の味。

それが今、海を越えようとしています。

佐賀の一杯は、

佐賀の中で深化し、

九州で評価され、

世界へ向かっている。

SAGAラーメンの進化は、今も続いています。